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大阪漆商の歴史
大阪漆商の元祖
漆商の発祥地である大阪の漆界で、その元祖といわれるのが島本休味(1567〜1656)であり、彼の墓は現在大阪難波の鉄眼寺にあります。この島本家を中心とした大阪漆商の発達の歴史を見てみます。
 古くは平安時代末期、播州(兵庫県)尼崎に弥兵衛という人がありました。当時百姓をしていましたが志を立てて大阪に出、屋号を尼崎屋と名乗り、諸国より漆を取り寄せて商売を始めたのです。1184年の事であったといいますが、これが島本家の先祖であると共に大阪漆商の起こりです。 その後、鎌倉・室町時代を通じて約400年間その子孫が代々継承して漆商を営んでいました。
 1567年に島本休味が生まれて家業を継ぎますが、当初は「島本」ではなく扱う商品にちなんで、「漆屋仁右衛門」と称して京都・紀州・堺その他の国々へ手広く商売をしていました。1596年ごろの事です。その後、大阪冬の陣が起こり戦火を避けて一時紀州へ逃れていたようですが、1615年、徳川二代将軍・秀忠の時代に大阪へ帰り、島本の性を名乗り島本仁右衛門と名を改めました。(晩年隠居した際に、「休味」と号しています)この人は徳川家に対して功績があったようで、家康の代から「江戸御年頭御拝礼を勤め、御紋服を頂戴した」と伝えられています。と同時に漆の精製技術の改良研究を行い、今日の大阪漆商の基礎を築いたのです。
 1656年、今から300年前に90歳の長寿を全うして休味は他界しましたが、その功績を称えて慶応二年に同業者が集い鉄眼寺に墓碑を建立して漆屋元祖として祀りました。この人には三人の子があり、兄は仁右衛門の名を継ぎ、次男は治郎右衛門、三男は弥三右衛門といって三人とも漆商を営み、当時屋号を「吉野家」と名乗っていました。
(株)ナルカミ  (当初は鳴神漆店)  創立の経緯
1856年当時の大阪漆商組合(戎講と称す)の、漆仲買人(いわゆる精製・販売業者)名簿の中に吉野家善兵衛という名前があります。これがナルカミの本家ともいうべき漆商です。初代・鳴神孫七は、和歌山県海草郡鳴神村で鳴神寅吉の次男として生まれ、1849年に吉野家善兵衛に入店しています。ただ、前出の組合名簿の中に鳴神孫七の名前も出ている事から、1856年当時、すでにある程度独立して商売を行っていたのではないかと推測されます。そして、翌1857年に吉野家善兵衛が廃業したため、その後を継いで正式に鳴神漆店を創業しました。家号を紀国屋とし、商標に出身地の紀州を意味するマーク(山の図形にキの字を組み合わせたもの)を用いたため、今でもナルカミは通称ヤマキと呼ばれる事があります。
 その後、二代・孫七が合資会社へ改組、三代・孫七が株式会社へと改組しました。戦時中の昭和19年には社名を鳴神漆工業株式会社と改め、さらに昭和40年には鳴神株式会社と改称し、現在の(株)ナルカミへと至っています。